自由意志は、行為の直前に因果関係を断ち切り、何ものにも決められずに選択肢を一つ選ぶ力として語られやすい。この定義を採ると、行為に原因があれば自由ではなく、原因がなければ偶然になる。どちらの場合も、「自分が理由に基づいて決めた」という経験を説明できない。
自由意志をめぐる議論では、因果から独立して別の選択ができたか、意識が行為を最初に開始したか、その行為を本人のものとして帰属できるかという三つの問いが混同されている。哲学上の自由意志は、広くは行為に対する意味のある制御を指すが、その制御に別行為の可能性や究極的な自己原因性が必要かについては立場が分かれる[1]。本稿では、自由意志を因果の外に置かず、主体が理由を取り込み、自分の行動様式を時間の中で修正できる能力として定義する。
1. 因果から独立した選択は自由を説明しない
人の選択が脳、身体、過去の経験、現在の環境に依存することは、自由意志に対する反証ではない。むしろ、それらから切り離された選択は、本人の信念、価値判断、記憶、目的とも接続しないため、本人の行為と呼ぶ根拠を失う。理由に基づく選択である以上、その理由は行為を生じさせる原因の一部でなければならない。
決定論が真であるかどうかを確定しなくても、この点は変わらない。世界が決定論的なら、自由は因果系列の中で成立する制御として説明する必要がある。非決定論的な揺らぎが含まれるとしても、偶然に左右された分岐が主体の制御を増やすわけではない。決定論と自由意志が両立し得るとする両立論は、自由を無原因性ではなく、行為がどのような心理的機構から生じ、その機構が理由に応答できるかという問題として扱う[2]。
カオス理論による予測可能性の限界を、古典的決定論の否定へ直結させることはできない。初期条件への鋭敏な依存によって予測が困難になることと、状態が法則に従って決まることは別である。自由意志を論じるために必要なのは、宇宙が完全に予測可能かという問いではなく、人の行為が本人の理由、評価、抑制、学習を経て生成されたかという問いである。
2. リベット実験が否定した範囲は限られている
自由意志に対する神経科学上の反証として、リベットらの実験が繰り返し引用されてきた。被験者が任意の時点で手首や指を動かす課題では、動かそうとした意図を自覚したと報告する数百ミリ秒前から準備電位が観測された[3]。この結果は、意識が行為直前に命令を発し、それ以前には何の準備も存在しないという単純な図式を支持しない。
ただし、準備電位が意識的決定の完成を示すとは限らない。Schurger らは、明確な時刻指定のない運動課題では、神経活動の自発的な揺らぎが閾値へ蓄積し、試行を運動開始時点でそろえて平均すると準備電位に見えるというモデルを示した[4]。この解釈では、準備電位の開始時点を、その行為が無意識に決定された時点とみなすことはできない。
課題の性質にも制約がある。リベット型の実験が扱うのは、どちらを選んでも実質的な差がない任意の運動であり、利害、価値判断、理由の比較を伴う選択ではない。Maoz らが任意の選択と寄付先を決める熟慮的な選択を比較した実験では、典型的な準備電位は任意の選択で確認された一方、熟慮的な選択では明瞭に現れなかった[5]。任意運動の開始過程から、生活上の判断や責任を伴う行為一般へ結論を拡張することはできない。
行為準備が始まった後も、運動開始のおよそ二百ミリ秒前までは停止できることを示した実験もある[6]。これは意識による拒否が形而上学的な自由を証明するという意味ではない。準備、抑制、実行が一つの瞬間ではなく、時間的に進行する制御過程であることを示している。神経科学が修正したのは、自由意志を行為直前の一点に置く理解であり、計画、熟慮、抑制、学習を含む能力全体の存在ではない。
3. 自由意志は時間に広がる自己制御である
実際の行為は、選択直前の意識だけから生じない。過去に形成された習慣、価値判断、知識、他者との約束、将来の計画が、現在の選択肢の見え方と優先順位を変える。衝動に従わないために場所を離れる、翌日の作業を前夜に準備する、失敗を記録して次回の手順を変えるといった行為では、自己制御が長い時間幅に分散している。
この時間幅を無視して、ボタンを押す直前に意識が最初の原因だったかだけを調べても、人が自分の行動をどの程度制御できるかは分からない。選択の瞬間に働く無意識過程も、過去の熟慮、訓練、反復、環境調整によって形成されている。意識的な反省は、毎回の行為を直接起動しなくても、次に同じ状況へ直面したときの反応を変えられる。
自由意志をこの能力として捉えると、「原因があるから自由ではない」という対立は成立しない。説明、証拠、規則、他者の利益といった理由が、主体の判断機構を通じて行為を変えること自体が自由の働きである。理由に反応する機構は因果的に作動するが、その因果過程には、本人の評価と将来予測が組み込まれている。両立論における理由応答性の議論も、自由に必要な制御をこの方向で捉えている[2]。
4. 自分の行為と呼べる条件
行為に原因があるだけでは、それを本人の自由な行為とは呼べない。脅迫、欺罔、強迫症状、依存、極端な疲労、認知能力の低下は、いずれも因果的に行為を生じさせるが、本人が理由を理解し、それに応じて行動を変える能力を狭める。自由の有無は、原因の有無ではなく、行為を生じさせた制御過程の状態によって判断する必要がある。
第一の条件は、行為が本人の信念、価値判断、目的と接続していることである。外部から身体を動かされた場合や、本人の判断過程を迂回する操作を受けた場合には、この接続が欠ける。
第二の条件は、理由への応答可能性である。新しい証拠、より重大な不利益、他者からの説明を受けても行動がまったく変わり得ないなら、その行為を生じさせた機構の制御能力は低い。実際に別の行動を選んだかではなく、理解可能な理由の違いに応じて判断が変化し得ることが問われる。
第三の条件は、抑制と更新である。衝動を停止し、計画を立て、失敗から学び、環境を調整して将来の行動を変えられるなら、主体は現在の反応だけでなく、反応を生み出す仕組みにも働きかけている。この能力には程度差があり、状況や心身の状態によって増減する。
したがって、自由意志は人に一律に備わるか、全面的に欠けるかという二値ではない。同じ人物でも、十分な情報と時間がある契約判断、突然の恐怖に対する反射、依存症状の下での行動では、利用できる制御能力が異なる。責任を論じる場合も、抽象的な自由意志の有無だけでなく、当該行為において理由の理解、抑制、予測、更新がどこまで可能だったかを個別に確認しなければならない。
5. 自由意志を能力として定義する
自由意志とは、因果関係の外から行為を開始する力ではない。主体が自分の信念、価値判断、記憶、将来予測を用いて理由を評価し、衝動を抑制し、行動を選び、その結果から将来の行動様式を更新できる能力である。
この定義では、行為直前の意識が脳活動に先行する必要はない。自由を支えるのは、単一の瞬間に置かれた命令者ではなく、熟慮、準備、抑制、実行、反省が連続し、相互に修正する制御過程だからである。無意識の処理はその過程の外部にある敵ではなく、習慣や技能を含め、主体を構成する機構の一部である。
自由意志をこのように捉えると、神経科学による因果説明と、人が理由に基づいて行動するという説明は競合しない。前者は行為がどのような脳内過程で実現するかを示し、後者はその過程がどの情報を評価し、なぜ特定の行動へ至ったかを示す。自由意志は原因の空白に宿るのではなく、原因を受け取り、自分の行動を修正できる主体の構造に成立する。
参考文献
- Timothy O’Connor and Christopher Franklin, “Free Will,” The Stanford Encyclopedia of Philosophy, substantive revision 2022. https://plato.stanford.edu/entries/freewill/
- Michael McKenna and D. Justin Coates, “Compatibilism,” The Stanford Encyclopedia of Philosophy, substantive revision 2024. https://plato.stanford.edu/entries/compatibilism/
- Benjamin Libet, Curtis A. Gleason, Elwood W. Wright, and Dennis K. Pearl, “Time of Conscious Intention to Act in Relation to Onset of Cerebral Activity (Readiness-Potential): The Unconscious Initiation of a Freely Voluntary Act,” Brain, Vol. 106, No. 3, pp. 623–642, 1983. https://doi.org/10.1093/brain/106.3.623
- Aaron Schurger, Jacobo D. Sitt, and Stanislas Dehaene, “An Accumulator Model for Spontaneous Neural Activity Prior to Self-Initiated Movement,” Proceedings of the National Academy of Sciences, Vol. 109, No. 42, pp. E2904–E2913, 2012. https://doi.org/10.1073/pnas.1210467109
- Uri Maoz, Gideon Yaffe, Christof Koch, and Liad Mudrik, “Neural Precursors of Decisions That Matter: An ERP Study of Deliberate and Arbitrary Choice,” eLife, Vol. 8, Article e39787, 2019. https://doi.org/10.7554/eLife.39787
- Matthias Schultze-Kraft et al., “The Point of No Return in Vetoing Self-Initiated Movements,” Proceedings of the National Academy of Sciences, Vol. 113, No. 4, pp. 1080–1085, 2016. https://doi.org/10.1073/pnas.1513569112