なぜ世界は意味を持つのか

世界に規則性があることと、世界が意味を持つことは同じではない。物理法則は、ある状態から別の状態への変化を記述する。しかし、その変化が好ましいか、避けるべきか、何のために利用できるかまでは決めない。

本稿では、意味を「主体の存続や行為に関わる差異」と定める。この定義では、意味は言語や意識から始まるものではない。一方、宇宙そのものにあらかじめ埋め込まれた属性でもない。意味は、自己を維持する主体と、その主体が関わる環境とのあいだに成立する。


1. 物理的な差異だけでは意味にならない

温度、光、圧力、化学物質の濃度は、主体が存在しなくても変化する。これらは測定可能な差異であり、因果関係を持つ。しかし、どの差異を無視し、どの差異に応答すべきかという基準は、物理量だけからは導けない。

同じ温度変化でも、岩石にとっては膨張や収縮を生じさせる条件であり、生物にとっては活動可能な範囲を外れる危険になり得る。前者にも因果関係はあるが、後者には存続の成否が加わる。意味を成立させるのは、差異そのものではなく、その差異によって維持されるか破綻するかが変わる主体である。

この区別を置かずに世界を「情報」と呼ぶと、測定可能な差異と、主体にとって重要な差異が混同される。情報量が多いことは、その情報が誰かにとって意味を持つことを保証しない。


2. 自己維持が差異に良し悪しを与える

生命は、外部から物質とエネルギーを取り込みながら、境界、代謝、内部状態を維持する。維持できる状態の範囲があるため、環境の変化は生命にとって中立ではなくなる。栄養物は取り込む対象となり、有害物質は避ける対象となる。温度や酸性度も、単なる数値ではなく、生存可能性を左右する条件になる。

自己維持を意味の起点とする立場では、この良し悪しを意識的な目的と同一視しない。細胞が将来を計画している必要はない。自身の組織を保つように状態を調整し、破綻を避ける働きがあれば、環境の差異は存続との関係で評価される。オートポイエーシスを適応性へ拡張する議論や、主体性を個体性、規範性、環境への非対称な働きかけから定義する議論は、この関係を生命と認知の接点として扱っている[1][2]

ただし、自己維持するものが接触した差異を、すべて意味と呼ぶわけではない。少なくとも、主体と環境を区別できること、差異が主体の維持可能性へ影響すること、主体がその差異に応じて状態や行動を調整することが必要である。自由エネルギー原理は、生物が取り得る状態を一定の範囲へ保つという性質を、環境の規則性を内部状態へ反映する過程として形式化している[3]


3. 知覚は世界を行為に必要な差異へ分ける

主体にとって意味を持つ差異は、環境に存在するすべての変化ではない。感覚器、身体構造、行動能力によって検出でき、利用できるものに限られる。同じ場所に生きる生物でも、光、振動、匂い、電場など、取り出せる差異が異なれば、そこで成立する生活世界も異なる。

ユクスキュルの環世界は、生物が共通の物理環境をそのまま共有するのではなく、それぞれの感覚と行為に応じた世界を生きることを示す概念である[4]。ギブソンの行為可能性も、環境の性質を主体から独立した物体属性だけで捉えず、身体と環境の関係として扱う。段差は一定の高さを持つが、それが登れる段差か、越えられない障害かは、身体の大きさと運動能力によって変わる[5]

この関係から見ると、知覚は外界の完全な複製ではない。行為に結び付かない差異を捨て、利用可能な差異を強調する選別である。知覚の違いは、同じ世界について異なる画像を持つというだけではなく、何が食物であり、障害であり、避難場所であるかという意味の違いを生む。


4. 意味は客観的属性でも任意の解釈でもない

意味を主体との関係として捉えても、意味が自由な思い込みになるわけではない。糖の化学的性質、毒物の作用、崖の高さは主体の解釈によって変化しない。主体は、環境に存在しない性質を任意に作り出すことはできない。

一方、それらの性質がどのような意味を持つかは、主体の構造と状態によって変わる。ある物質が栄養になる生物もいれば、利用できない生物もいる。同じ水分量でも、乾燥環境の生物と水中の生物では意味が異なる。意味は物体だけにも主体だけにも属さず、環境の性質と主体の維持条件が接続したところに成立する。

誤認が起きることも、この関係を示している。毒を食物として取り込む、擬態した捕食者を見落とす、人工物の刺激に過剰に反応するといった失敗では、主体が選び取った意味と、環境がもたらす帰結が一致しない。意味には誤りがあり得る。これは、意味が主観的でありながら、環境と存続結果による制約を受けることを示す。


5. 言語は意味を作り始めるのではなく共有可能にする

人間の意味は、生存に直接関わる差異だけではない。言語、慣習、制度を通じて、個体の身体から離れた対象や、過去と未来、規則、役割にも意味を与える。貨幣、契約、職位のような対象は、生物学的な環境だけでは成立せず、複数の主体が同じ区別と応答を反復することで効力を持つ。

それでも、言語が無から意味を作るわけではない。発話や身振りによって互いの行動を調整し、どの差異に応答するかを共同で安定させる過程が先にある。共同的意味形成の議論は、意味が個体内部の表象だけで完結せず、相互作用そのものによって変化し得ることを示している[6]。言語は、この調整を反復、記録、修正できる形式へ拡張する[7]

人間の特異性は、意味を初めて持ったことにはない。既に生命と知覚に成立していた意味を、記号と制度へ外在化し、個体の経験を越えて共有できるようにした点にある。


6. AI が文章を生成することと、AI 自身に意味があることは別である

単体の言語モデルは、人間が作成した文章から語の関係を学び、利用者にとって意味のある出力を生成できる。ここでは、出力の意味は人間の言語実践、質問の目的、利用場面によって与えられる。流暢な文章を生成できることだけでは、そのシステム自身にとって何が維持すべき状態で、何が避けるべき失敗なのかは定まらない。

本稿の定義に従えば、人工システム自身の意味を論じるには、推論性能だけでなく、独自の維持条件、環境との継続的な結合、失敗の帰結、自らの状態を調整する仕組みを確認する必要がある。人工主体をめぐる「意味の問題」でも、文脈に応じた重要性を持たせる条件として、感覚運動上の自律性と自己維持が検討されている[8]

これは、AI に意味が成立し得ないという結論ではない。知覚設計や自律性をどこまで実装すれば人工主体と呼べるのかが、未確定の判断課題として残るということである。人間の記号を処理できることと、そのシステム自身の環世界が成立することは分けて考えなければならない。


結論

世界には、主体が存在しなくても物理的な構造と差異がある。しかし、その差異のうち何を取り込み、避け、利用すべきかという意味は、物理法則だけでは決まらない。自己を維持する主体が生まれ、環境の変化を自身の存続と行為に結び付けることで、差異に良し悪しが生じる。

意味は世界の側に完成品として置かれているのでも、主体が自由に投影するのでもない。環境の性質、主体の身体、維持条件、行為能力が接続した関係として成立する。知覚はその関係から必要な差異を選び、言語と制度は選ばれた差異を他者と共有できる形へ拡張する。

したがって、「世界は意味を持っているのか」という問いへの答えは、主体から独立した意味はないが、主体が環境と関わるところには実在的な制約を持つ意味が成立する、である。意味は物質とは別の実体ではない。自己維持する生命が、世界の差異を行為の条件として引き受けるときに生じる関係である。


参考文献

  1. E. Di Paolo, “Autopoiesis, Adaptivity, Teleology, Agency,” Phenomenology and the Cognitive Sciences, Vol. 4, pp. 429–452, 2005. https://doi.org/10.1007/s11097-005-9002-y
  2. X. E. Barandiaran, E. Di Paolo, M. Rohde, “Defining Agency: Individuality, Normativity, Asymmetry, and Spatio-temporality in Action,” Adaptive Behavior, Vol. 17, No. 5, pp. 367–386, 2009. https://doi.org/10.1177/1059712309343819
  3. K. Friston, “A Free Energy Principle for Biological Systems,” Entropy, Vol. 14, No. 11, pp. 2100–2121, 2012. https://doi.org/10.3390/e14112100
  4. J. von Uexküll, A Foray into the Worlds of Animals and Humans with A Theory of Meaning, University of Minnesota Press, 2010. https://www.upress.umn.edu/9780816659005/a-foray-into-the-worlds-of-animals-and-humans/
  5. J. J. Gibson, The Ecological Approach to Visual Perception, Houghton Mifflin, 1979. https://search.worldcat.org/title/4929611
  6. H. De Jaegher, E. Di Paolo, “Participatory Sense-Making: An Enactive Approach to Social Cognition,” Phenomenology and the Cognitive Sciences, Vol. 6, No. 4, pp. 485–507, 2007. https://doi.org/10.1007/s11097-007-9076-9
  7. E. C. Cuffari, E. Di Paolo, H. De Jaegher, “From Participatory Sense-Making to Language: There and Back Again,” Phenomenology and the Cognitive Sciences, Vol. 14, pp. 1089–1125, 2015. https://doi.org/10.1007/s11097-014-9404-9
  8. J. Kiverstein, M. D. Kirchhoff, T. Froese, “The Problem of Meaning: The Free Energy Principle and Artificial Agency,” Frontiers in Neurorobotics, Vol. 16, Article 844773, 2022. https://doi.org/10.3389/fnbot.2022.844773