性自認はどのように決まるか

性自認が何によって決まるのかという問いには、現在も個人単位の答えがない。遺伝的な類似、出生前ホルモン環境、脳の構造や機能、身体の感じ方、発達過程、社会的な言語や役割について研究は行われている。しかし、いずれの測定値も、ある人の性自認を一意に導いた原因として特定できない。

現在の知見から言えるのは、単一原因説を支持できないこと、いくつかの生物学的・発達的要因が群レベルで関連すること、性自認の現れ方や言語化が社会的条件の影響を受けることである。「多因子」という表現は、これらを統合する因果モデルが完成したという意味ではない。個々の因子の重み、作用時期、相互作用を定量化し、個人の発達経路を説明する一般理論は確立していない。


性自認、性別違和、性別不合は別の対象である

性自認は、自分をどの性別として経験し、理解するかという本人の自己認識である。性別違和は、経験される性別と割り当てられた性別の不一致に伴い、臨床的に有意な苦痛または生活上の支障がある場合に用いられる診断概念である。性別不合は、世界保健機関の国際疾病分類第 11 版で、経験される性別と割り当てられた性別の持続的な不一致を扱う分類であり、精神疾患の章から性の健康に関連する状態の章へ移された[1]。米国精神医学会の診断基準でも、トランスジェンダーであること自体ではなく、不一致に伴う苦痛または機能障害が性別違和の要件となる[2]

対象 何を記述するか 主な資料 資料からは分からないこと
性自認 本人が経験し、言語化する性別上の自己認識。 自己報告、面接、縦断調査。 個人の性自認を生じさせた唯一の原因。
性別違和 不一致に伴う苦痛や機能障害。 診断基準、臨床評価、生活への影響。 性自認そのものが病理であること。
性別不合 経験される性別と割り当てられた性別の持続的な不一致。 国際疾病分類と医療アクセス上の分類。 不一致が生じた生物学的機序。

この区別をしないと、本人の自己認識、医療上の診断、原因研究が同じ問いに見える。診断分類は支援と医療を運用するための基準であり、性自認の原因を証明する検査ではない。


「多因子」は確立済みの原因モデルを意味しない

米国心理学会は、トランスジェンダーである理由について単一の説明はなく、遺伝的影響、出生前ホルモン、早期およびその後の経験などが関与する可能性を挙げている[3]。この説明は、単純な生物学的決定論や社会的決定論を退ける点では妥当である。しかし、各要因がどの割合で寄与し、どの順番で作用し、どの発達経路へ結びつくかを示す数理モデルではない。

性自認の原因研究では、研究対象も統一されていない。トランスジェンダーまたはジェンダー多様な自己認識、性別違和の診断、医療機関の受診、法的性別の変更は互いに異なる。研究ごとに採用する対象が違えば、同じ「原因」を調べているとは限らない。臨床集団から得られた結果を、医療を必要としない人やノンバイナリーの人を含む全体へ一般化することもできない。

したがって、「性自認は多因子で決まる」という文は、現時点では原因を説明する完成形ではなく、単一の決定因を支持する証拠がないことを示す限界記述として使う方が正確である。


遺伝的寄与は示唆されるが個人を決定しない

生物学的寄与を検討した総説では、家族研究、双生児研究、性分化に関わる医学的条件、神経画像などが扱われてきた。一方、利用できる標本が小さく、対象の定義と募集方法が揃わないため、特定の遺伝子や一つの発達経路へ収束していない[4]

2025 年の双生児研究は、過去の研究と合わせた 463 組について、一卵性双生児の一致率が二卵性双生児より高いと報告した。この差は家族性要因、とりわけ遺伝的寄与を示唆する。しかし、一卵性双生児でも一致は一部に限られ、新規に集めた標本は 27 組であった。研究は臨床集団と既報データを統合しており、母集団頻度の仮定にも結果が依存する[5]

一致率が 100 % でない以上、遺伝情報だけで性自認を決定できない。反対に、一卵性と二卵性の差があることから、遺伝的寄与を無視することもできない。この研究から導けるのは家族性要因の存在可能性であり、「性自認遺伝子」や個人予測の確立ではない。


出生前ホルモンは行動傾向と性自認を同じようには説明しない

出生前アンドロゲンの影響は、先天性副腎過形成など性分化に関わる医学的条件を通じて研究されてきた。先天性副腎過形成のある女児では、平均として男性に多いとされる遊びや活動への関心が増えることがある。しかし、 5 歳から 12 歳を対象とした研究では、性別に関連する行動の差が確認された一方、性自認の混乱や違和に有意な増加は認められなかった[6]

2019 年の文献レビューでは、女性として育てられた 46,XX 型先天性副腎過形成の集団で性別違和を報告した割合は少数であり、出生前アンドロゲン、重症度、診断時期などから性別違和を生じる下位集団を確定できなかった[7]。この資料は、出生前ホルモンが性別に関連する行動へ影響し得ることと、性自認を直接決定することを区別する必要があると示している。

性分化に関わる医学的条件は、ホルモンと発達の関係を調べる重要な資料である。ただし、疾患、治療、外性器の状態、養育、社会的経験が同時に関係するため、一般のトランスジェンダー集団へそのまま外挿できない。


神経画像の群差は個人の性自認を判定しない

2021 年の大規模解析は、ホルモン治療前のトランスジェンダー 386 人とシスジェンダー 417 人、合計 803 人の構造的磁気共鳴画像を統合した。皮質下体積や表面積には群差が報告されたが、結果は単純に出生時に割り当てられた性から経験される性へ移動する一軸の形ではなく、脳領域と測定量によって異なっていた[8]

2025 年の若年者を対象としたスコーピングレビューも、研究数、標本規模、年齢、ホルモン治療、測定方法、二元的な集団分類の違いを問題として挙げた。神経画像を性自認の診断へ使うことや、ジェンダー多様性を神経生物学だけへ還元することには慎重であるべきだとしている[9]

群平均に差があっても、個人の分布が重なれば診断マーカーにはならない。脳画像から本人の性自認が真実かどうかを判定する方法はなく、その用途を想定して得られた研究でもない。神経画像が示せるのは発達や経験との関連であり、個人の原因証明ではない。


身体の感じ方は実在するが原因の証明にはならない

性自認や性別違和には、身体部位を自分のものとして感じる自己帰属、期待する身体構成、身体を見られる状況などが関係し得る。 2023 年の探索的調査では、出生時には存在しない性別化された身体部位の感覚を報告する「トランス・ファントム」が調べられ、オンライン調査の回答者 1,446 人の一部がその感覚を報告した[10]

この研究は身体経験の記述として興味深いが、自己選択されたオンライン標本による横断調査である。トランスジェンダーまたはジェンダー多様な人全体における有病割合、発生時期、神経機序、性自認との因果方向を確定できない。身体表象が性自認の一部と関係する可能性は示しても、性自認を形成した原因とは言えない。


安定と変化は同じ発達研究の中で扱う必要がある

性自認の安定性は、対象集団、開始年齢、測定間隔、使用するラベルによって異なる。 2025 年の縦断研究は、幼少期に社会的移行を行った子ども、そのきょうだい、比較対象を含む 900 人以上を、平均 8.1 歳から平均 14.3 歳まで追跡した。この集団では安定した経路が最も多かったが、自己認識を変える若者も存在した[11]

この結果は、幼少期に社会的移行を行い、家族から支援された北米の特定集団についての知見である。すべてのジェンダー多様な子どもや、成人になってから自己認識を言語化した人へ同じ割合を適用できない。それでも、安定が多数であることと、一部に変化があることが矛盾しない点は示されている。

2024 年の別の縦断研究では、トランスジェンダーまたはジェンダー多様な成人を 24 か月追跡し、調査期間中に使用する性自認のラベルが変化した人を分析した[12]。ラベルの変更は、過去の自己理解が虚偽だったことを意味しない。言葉の獲得、社会環境、安全性、自己理解の精緻化によって表現が変わる場合がある。発達研究では、持続性を前提にすることも、変化を不安定性として一括することも避ける必要がある。


自己モデル仮説は説明枠であり原因論ではない

以前の論考では、自己を体験を束ねる最小モデルとして捉え、性自認を身体と社会的役割を整理する基準座標として位置づけた[13]。この仮説は、遺伝、身体表象、社会的な分類、本人の経験を一つの語彙で記述する用途を持つ。しかし、現在のままでは性自認の原因を説明する科学理論ではない。

自己モデル仮説の用途 可能な記述 不足している検証条件
情報の統合 身体感覚、他者からの扱われ方、記憶、言語を一つの自己理解へまとめる。 各情報がどの順序と重みで統合されるかを測定する指標。
安定性の記述 自己理解の中心にある分類が反復して維持される状態を表す。 安定性を他の発達モデルより良く予測する固有の予測。
変化の記述 新しい経験や言葉によって自己理解が更新される過程を表す。 どの条件で維持され、どの条件で変化するかという反証可能な境界。

自己モデルという語だけでは、性自認が安定する理由も変化する理由も説明できるため、反証が困難である。科学的な仮説にするには、測定する変数、時間的な順序、比較対象、別の理論と異なる予測を定めなければならない。現段階では、複数分野の知見を整理する概念枠として扱うのが妥当である。


支援の根拠は原因の証明ではない

医療や心理支援では、本人の性自認の原因を遺伝子や脳画像で証明してから支援を開始するわけではない。世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会の標準治療指針は、個々の目標、同意能力、身体的・精神的健康、社会的条件を評価し、必要な支援を個別化する枠組みを示している[14]。内分泌学会の診療指針も、ホルモン治療を希望する人について、診断基準、併存状態、妊孕性、治療上の利益と危険を評価することを求めている[15]

これらは性自認の原因を確定する文書ではなく、医療を安全に実施するための指針である。臨床上の判断は、原因論の完成ではなく、本人が経験する持続的な不一致、苦痛、生活上の困難、希望する支援、介入の可逆性と危険に基づく。

米国心理学会は、性自認を割り当てられた性へ合わせることを目的とした強制的または偏った介入に反対し、経験者から心理的苦痛、関係喪失、自己価値の低下などが報告されていると整理している[16]。支援が中心になる理由は、性自認が生物学的に固定されていると証明されたからではない。原因を特定できない状態で本人の自己認識を矯正対象とし、望まない方向への変化を治療目標にする根拠がなく、害の懸念があるためである。


性自認の原因は個人単位では特定できない

性自認について、単一の遺伝子、出生前ホルモン量、脳領域、養育方法、社会環境を原因として指定することはできない。双生児研究は遺伝的寄与を示唆し、性分化に関する研究は出生前ホルモンが一部の行動傾向へ影響し得ることを示す。神経画像は群レベルの複雑な差を報告し、縦断研究は安定と変化の双方を記録している。しかし、これらを個人の性自認へ逆算する方法はない。

「多因子」という表現は、この不確実性を隠す完成理論ではない。現在の到達点は、複数の生物学的・心理的・社会的過程が関係する可能性を認めつつ、それらを統合する規則が分かっていないというものである。脳画像や遺伝子検査で本人の性自認を認証することも、原因が説明できないことを理由に本人の自己認識を無効とすることも、現在の研究からは支持されない。

科学が扱えるのは、どの集団でどの関連が観察されるか、自己認識がどのような発達経路を取るか、苦痛と生活上の困難をどの支援が軽減するかである。個人に対する答えは、「なぜそうなったか」を推定する検査ではなく、本人が何を持続的に経験し、どの支援を必要としているかの評価から始まる。


参考文献

  1. World Health Organization, “Gender incongruence and transgender health in the ICD,” 2019. https://www.who.int/standards/classifications/frequently-asked-questions/gender-incongruence-and-transgender-health-in-the-icd
  2. American Psychiatric Association, “What is Gender Dysphoria?” https://www.psychiatry.org/patients-families/gender-dysphoria/what-is-gender-dysphoria
  3. American Psychological Association, “Understanding transgender people, gender identity and gender expression,” 2024. https://www.apa.org/topics/lgbtq/transgender-people-gender-identity-gender-expression
  4. Tinca J. C. Polderman et al., “The Biological Contributions to Gender Identity and Gender Diversity: Bringing Data to the Table,” Behavior Genetics, Vol. 48, No. 2, pp. 95–108, 2018. https://doi.org/10.1007/s10519-018-9889-z
  5. Will Conabere et al., “Using twin data to examine heritable and intrauterine hormonal influences on transgender and gender diverse identities,” Scientific Reports, Vol. 15, Article 21680, 2025. https://doi.org/10.1038/s41598-025-06265-6
  6. V. Pasterski et al., “Prenatal androgenization affects gender-related behavior but not gender identity in 5–12-year-old girls with congenital adrenal hyperplasia,” Archives of Sexual Behavior, Vol. 33, No. 2, pp. 97–104, 2004. https://doi.org/10.1023/B:ASEB.0000014324.25718.51
  7. Lisieux Eyer de Jesus et al., “Gender dysphoria and XX congenital adrenal hyperplasia: how frequent is it? Is male-sex rearing a good idea?” Journal of Pediatric Surgery, Vol. 54, No. 11, pp. 2421–2427, 2019. https://doi.org/10.1016/j.jpedsurg.2019.01.062
  8. Sven C. Mueller et al., “The Neuroanatomy of Transgender Identity: Mega-Analytic Findings From the ENIGMA Transgender Persons Working Group,” The Journal of Sexual Medicine, Vol. 18, No. 6, pp. 1122–1129, 2021. https://doi.org/10.1016/j.jsxm.2021.03.079
  9. Linda M. Bonnekoh et al., “Neuroimaging insights into transgender and gender nonconfirming youth: a scoping review,” Child and Adolescent Psychiatry and Mental Health, Vol. 19, Article 135, 2025. https://doi.org/10.1186/s13034-025-00987-1
  10. S. J. Langer, Taymy Josefa Caso, Louisa Gleichman, “Examining the prevalence of trans phantoms among transgender, nonbinary and gender diverse individuals: An exploratory study,” International Journal of Transgender Health, Vol. 24, No. 2, pp. 225–233, 2023. https://doi.org/10.1080/26895269.2022.2164101
  11. Benjamin E. deMayo et al., “Stability and Change in Gender Identity and Sexual Orientation Across Childhood and Adolescence,” Monographs of the Society for Research in Child Development, Vol. 90, No. 1–3, pp. 7–172, 2025. https://doi.org/10.1111/mono.12479
  12. Manuel A. Ocasio et al., “The association between gender identity fluidity and health outcomes in transgender and gender diverse people in New Orleans and Los Angeles, USA,” Preventive Medicine Reports, Vol. 42, Article 102735, 2024. https://doi.org/10.1016/j.pmedr.2024.102735
  13. id774, クオリアとは何か(2026-01-03). https://blog.id774.net/entry/2026/01/03/3195/
  14. Eli Coleman et al., “Standards of Care for the Health of Transgender and Gender Diverse People, Version 8,” International Journal of Transgender Health, Vol. 23, Supplement 1, pp. S1–S259, 2022. https://doi.org/10.1080/26895269.2022.2100644
  15. Wylie C. Hembree et al., “Endocrine Treatment of Gender-Dysphoric/Gender-Incongruent Persons: An Endocrine Society Clinical Practice Guideline,” The Journal of Clinical Endocrinology & Metabolism, Vol. 102, No. 11, pp. 3869–3903, 2017. https://doi.org/10.1210/jc.2017-01658
  16. American Psychological Association, “APA adopts resolution opposing biased or coercive efforts to change individuals’ gender identity,” 2021. https://www.apa.org/news/press/releases/2021/03/change-gender-identity