健康はいつから自己責任になったのか

健康は、現代社会でもっとも疑われにくい価値の一つである。病気を防ぐこと、苦痛を減らすこと、身体を動かせること、よく眠れること、必要な治療を受けられること、長く生きられることは、多くの場合において望ましい。健康であれば、働 … 続きを読む

身体はどこまで売買してよいのか

現代のバイオエシックスは、生命を守るための倫理だけではなく、生命科学が人間の身体をどのように作り、扱い、記録し、評価し、制度や市場へ接続するのかを問う領域へ広がっている。これまでの既稿では、生命を作る技術、親子関係を作り … 続きを読む

生命科学は規制より速く進んでよいのか

新しい技術は、しばしば制度より先に進む。これは、技術者や研究者が制度を軽視しているという単純な話ではない。技術は、まだ名前の定まらない対象を作り、既存の分類では説明しにくい現象を見つけ、そこから新しい応用可能性を開くこと … 続きを読む

命に優先順位をつけてよいのか

命に優先順位をつけるという言い方には、強い抵抗感がある。人間の命に高い命と低い命があるかのように聞こえるからである。すべての命は等しく尊い。これは、多くの人が受け入れやすい倫理的直感であり、医療を支える基本的な前提でもあ … 続きを読む

老化は治療すべき病なのか

現代のバイオエシックスは、生命の始まりだけを扱うものではない。生命科学が進むほど、倫理の問いは、胚、配偶子、ゲノム、脳、医療判断だけでなく、老い、長寿、介護、健康寿命、世代間資源配分へ広がっていく。これまでの既稿では、生 … 続きを読む

治療と強化の境界はどこにあるのか

現代のバイオエシックスでは、生命科学が病気を治すだけでなく、人間の身体、認知、生殖、老化、能力、将来世代の条件を変え始めている。かつて医療は、病気を治し、苦痛を減らし、失われた機能を回復する営みとして理解しやすかった。し … 続きを読む

遺伝情報は本人だけのものなのか

現代のバイオエシックスは、生命科学が何を作るのかという問題から、生命科学が身体由来情報をどのように社会制度へ組み込むのかという問題へ広がっている。[1][2][3]これまで、生命を作る時代の倫理、脳オルガノイド、幹細胞由 … 続きを読む

人は自分の死をどこまで決めてよいのか

生命倫理は、生命を作る技術だけを扱うものではない。人工配偶子、ゲノム編集、幹細胞由来胚モデル、脳オルガノイド、ヒト–動物キメラは、生命の始まり、生命の境界、生命の設計可能性を問い直す技術である。これまでの既稿では、生命科 … 続きを読む